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2014年5月14日 (水)

さらばAV男優山形健

先年引退したという噂を聞いて電話してみたけれど、
ずべて解約されていてつながらなかったAV男優の山形健氏。
どうも家財をすべて処分していずこかへ去ったようです。

百度ででてくる山形健自殺のキャッシュについては、裏取りの確証がなく、
業界人ですら知らないことなので、今のところガセだとと思う
ただ病気で死去していた、というのならあり得ないことではない。
(もし死んでいたとしたら親しい人が死ぬ1,2年前に私がなぜか会っていたりするという
怖いジンクスが実現したことになるのでそれはそれで言いたくないというのもある)

自宅はセキュリティの事情があっているかどうかはわからなかったのだけれど、
いろいろ総合するにもはや住んでいないようで、
(持ち家を処分するというのも手間のかかることだけれど)
結果的にもはや誰とも連絡が取れず、車もバイクも存在しないので、

以前2010年の9月に会った時言っていた

「仕事も減ってきたのでいずれ引退ということになったら、全部処分してどこかへ消えますよ」

という(少しうろ覚えではあるが)考えを実行したのであろうと思われます。

個人としてはどこかで出てくるかもしれないけれど
男優としてはもはや世に出ることはないわけだから、

さらば山形 健 と言ってよろしいと思う。

様々なことを見るに、AVの曲がり角が2013年に訪れたのだと再認識せざるを
得ないのかもしれない。

おそらく今業界にいる人で氏のことを詳しく知っている人は私ぐらいしか
いないだろうから、記録として彼のことを記しておこうとおもう

多くの人は性格俳優としての彼の一面しか知らないだろうし、
私がいなくなってしまったらあの性格俳優のことを知る人は誰もいなくなってしまうから。


若いころは茨城の破たんした家庭で育ち、大変苦労した。
特に父親がひどく、父親を憎むこと一生涯と言えるほどに憎んでいた。
しかしそれがその後の山形健のキャラクタ生成に大きな役割をもっていた。

親とのかかわりを断ち(まさに今回のように)陸上自衛隊に入隊。
工兵部隊で厳しい訓練を受け、精神力を鍛錬した。
その後10年ほどコンピューターシステムの管理をするオペレーターサラリーマン生活を経て、
35歳でAV業界に転職、と言っても当時男優のつてなどなく、レンタル現場は
チョコボール向井氏等日焼け/ホスト系全盛の時代で
おおむね位置は固定されており、新人の入るスキなどないので
あちらこちらへ電話攻勢をするうち
当時胎動を始めていたシャトルジャパンやMVG、安売り王グループへの
汁男優やエキストラ男優として端役で出演した。

それを取っ掛かりに、しつこく、粘り強く、男優を研究して、顔を売っているうち、
セルビデオバブルが始まり、アダルト産業にあらたな需要が生まれ、
レンタル色のないセルらしい泥臭い男優需要とともに絡み男優へ転身。

とにかく年齢が行っているので勃起やメンタル、絡みの流れ、段取り、喋りに至るまで
毎日AVを見たり、自分のAVを編集して研究、特訓するという熱心さで
(一例をあげると時計は目立つからと時計付の指輪をして、絡みの時間を正確に測るという具合)
セルビデオの若手男優の技術を向上するよい手本になった。
四畳半築数十年の共同風呂、共同便所の公団住宅で日夜刀を研ぐ毎日は非常に勉強になった。
(私も宿無し時代ここを訪ねて一緒に共同風呂に入ったことがある)

それ以降は多くのセルビデオ、レイプ系、芝居系でよく見られる濃い顔立ちと
特徴的な喋りで活躍する

AV業界的に一番の功績は、

AV男優友の会、という当時片手間に男優をしていた素人男優をリスト化したエキストラ集団を作り、
急激に需要が膨らんだセルビデオ現場に大量にエキストラを派遣するという
今に至る汁男優派遣業の最初の集団を作った事だと思う。

教育を受けていない素人男優をアルバイトとして派遣した都合上、多くの現場で
プロとアマチュアのギャップによるトラブルが大きくなり、
氏自身が男優へのシフトをしてその仕組みの維持をしなかったため、
最終的に汁男優友の会といわれたその集団事業は空中分解して
私もそのあと一時やっていたけれど、とにかく憎まれ役だけ回ってくるし
別に汁男優の派遣で飯を食うなんてまったくクダラナイとおもっていたので、男優に専念することにし、
さらにそういうトラブルを避けて自分ですべて賄えるようミルキーを作って
独立してしまったため

この汁男優友の会はまとめポストがなくなり、ばらばらのままパイプ役のような人が
次々と湧いて出て、あちこちに適宜自分のグループを派遣する、という状態になった。
最近は需要低減で以前ほどトラブルになることはなくなったようだけれど。

まあとにかくちょっとやっていただけなのに、制作側からは独り占めして派遣拒否している汁男優の
親玉のように馬鹿にされて一向男優がやりづらいし、
派遣される側からは能力別に分けても等しく仕事をふれとか文句ばかり上がってくる。

こういうシステムを作って運営するのはなかなか大変なことでした。

この男優友の会で出た人は、確か村西組で抜擢される前の前田龍二、
弟子入りする前のミートボール吉野、いきなり出世組が桜木駿であったと思う。
ほかにもいるだろうけど、あちこちを掛け持ちしながらたまたま紹介で派遣された、という
人も多かったので、男優友の会出身とは言いたくないだろうからあまり言及しない。


元来神経質な人で、布団はシーツと毛布まで端と端をぴったりそろえる
AV雑誌は左から年代順にきれいにそろっていないといやだという
人だったので、自分の限界を日々考え、様々な変化球を考えていく職人のような
男優であった。


2010年に会った時には仕事が以前の半分に減っており、体調の悪化があって
期間限定でギャラを下げた、と言っていた。(男優がペナルティとしてギャラを下げた唯一の例だと思う)

年齢的に50歳を超えたころに、なんらかの決断をしようとはなんとなく感じ取れたけれど、

4畳半の賃貸公営住宅から、8畳ワンルーム、2LDK賃貸マンションとアップグレードし、
最後は最新鋭の3LDKのマンションを購入、ローンも完済した状態で
数台のAVデュプリケーターを使って自分のシーンを思う存分編集して
コレクションするのが楽しみだと言っていたくらいだから
まさかそれをあっさり捨てるとは思わなかったけれど、
彼の性格上、収入のない状態で固定資産税や保険を払っていけるか(持ち家は維持費が高い)
というと、男優をやめた以上不安だろうし、基地を維持する必要性もないから、

本当にすべてを捨て去っていなくなる、という処し方はすごいとしか言いようがない。

人生を通じてなかなか冒険しない、石橋をたたいても渡らない、という保守的な
性格の人ではあったけれど、いったん決断したら徹底的にやる、というのは大変勉強になった。


AV男優を目指す、または業界にすでにいる人に、私自身参考になった山形氏の言葉をいくつか書いておこうと思う。





男優は謙虚であれ。調子に乗った時が一番怖い。

入り時間には遅れるな。

絡み男優を目指すのなら汁男優はなるべくやるな。

受けた仕事は必ずやり通せ。女優やギャラでえり好みして現場を浮気するな。

自分のキャラクターを理解しろ。

男優、スタッフのミスや不作為を恨んだり、批判するな。いつか自分もそういう立場になるかもしれない。







ほかにもあったけれどこれぐらいで十分であろう。

自殺というのはもっとも嫌がっていたので自殺することはない人だから、
どこか風俗街の近くで静かに暮らしていると思う。
従って本人が別に亡くなったわけではないのだが、
業界的にはもう出てくることがないので、さらば、と言っておく。

さようなら山形 健。
またいつかどこかのスタジオで会いましょう。

Yama
2010.9.3

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コメント

まだ連絡が取れませんか?

投稿: 小沢 とおる | 2014年6月12日 (木) 20時26分

一緒にやってた男優です。丹羽さんはまだ居ます?山形さんは堅実で辞めた時に貯蓄が無いと駄目と言ってたから、今はどうしてるのかな?同じ自衛隊出身です。山形さん施設部隊だったんですね。

投稿: 太田 | 2016年2月 6日 (土) 23時14分

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