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2015年10月15日 (木)

星の小ネタ

こないだビックカメラでホームプラネタリウムを見つけたが、在庫がなかったので通販で買った。
Pnl

ちょっとした星座の勉強のつもりだったのだけど
却って混乱してしまった。

パッと見るとこうなっている。

Winter

星座なんて言うとオリオン座や白鳥座、北斗七星、北極星、大三角、プレアデス、バラ星雲あたりが
東京郊外とかで肉眼で見えてわかりやすい星座なのだ

しかしあまりにも多くの星座があって、それがいったいどこにあるのか正直わからない。

私の生まれ星座のさそり座はどこかとみても、よほど照らし合わせした人でないとまず判別できない。

というか生まれ星座のほとんどが載っていない。

これはいったいどうしたことか


と調べたら、どうもこういうことらしい。


993_0_01

この黄色い線にそった星座が星占いで使う12星座で、ほかはただの神話とか、ギリシャ系の言い伝えであると。

あとさらにどうでもいい星座とか自分で勝手につけた星座とかあるらしく、88もあると。

複雑な事情は立派な先生が書いておられる。


正直調べようという気が全くなくて今更知ったという。

知らなくても生きていけるどうでもいい知識の最右翼かもしれない。
高校生のころは軌道計算とか惑星の時差とかケプラーの法則で悩んでいてそんなことは勉強しなかった。

今言われる星座表に、なぜ星占いで使われる12星座のほとんどが現在載っていないのか
(あるにはあるがどの天球にも明記されない)

この謎を解いてみた。

まず星占いの12星座は黄道にそっておいてある。

太陽の通り道を黄色い線で記して、そのまま夜の空に写すと黄道になるので
そこに目印として、”作られた”のが12星座となる。


なので10月21日ごろから、11月20日ごろまで、太陽が昼間通るところを夜に転写すると、さそり座があるわけだ。

これが星占いの原則になっている。

ではこの”おおふかしとめてさいてやみうり”といわれる12星座はギリシャ神話と関係ないのか?となると

全く関係ないようだ。


ではなにか、というとなんとなくそう見えるただの記号らしい。

誰が作ったか、といわれると、占星術はエジプトが起源になるのだが

もとはシュメールに起源すると言われる。あとで証明する。

12星座の原型はメソポタミアでできたらしい。

それがエジプトで12になって、占星術になり、アメリカで星占いになっていったと。

あの12星座はシュメールでいうなら紀元前3800~2000で今から5000~6000年前に原型があることになる。

てんびん座以外はすでにあったらしい。てんびん座も名前が違っていただけであったかもしれない。

実は、今歳差運動で太陽の位置がずれているので、10/20~11/20ごろに
太陽はさそり座の位置にないのです。

今10~11月に生まれた人は星座一つ分ずれててんびん座になってしまう。

これが約2000年ごろの星座図と言われるのはこのためで、古代の星の位置がちゃんと記録してあったので
計算して、このようになった。
それで今では不要なので、あまり重視されないというわけ。
多くギリシャと言われるが、実際はエジプトです。
2000年前の11月に生まれたらさそり座になったのだから、そのころに作られたと予測できるわけ。
今の占星術が形を成したのは2000~3000年前(BC0~1000)の間ということになる。証明1

ではもっと前のメソポタミアの時代、3000年以上前はなにを基準にしていたのか?
さらにずれて太陽の位置は意味をなさないのに、占星術らしきものはあったという。
まさかさそり座0度を起点にいきなり始まったとも思えない。
あとは暦。
占星術が始まった説1のギリシャは太陽太陰暦
古代エジプトは太陽暦

太陽暦で計算すれば一年365日で太陽の位置がちょうど2000~3000年期に12星座の位置になる。

太陰暦を入れるとずれてしまう

そういうわけで古代エジプトで2000年前ごろに成立したのではと推測

しかし3000年以上前の12星座は何を計っていたか?

これは太陽でなく、明るい星を基準で考えてみる。
古代エジプトはシリウスの位置で測っていたのでシリウス歴というのですが
わかりやすいのはレグルスを例にとってみる。
古代エジプトに倣ってみよう。

これは72年に1度くらいすすむのですが、今ちょうどおとめ座0度にいます。
おとめ座は30日=30度なので
2160年前はしし座0度ほどにいたことになります。
紀元前160年というと、ローマ帝国勃興期です。ギリシャ時代華やかな頃で
しし座0度に光るレグルスは王様の象徴にぴったりです。

72x60=4320年前は、かに座0度にいたはずです。
紀元前2320年。メソポタミア。
72x90=6480年前は、さらにふたご座の0度。
紀元前4480年
シュメールのころ、レグルスはふたご座の0度となります。

なのでこの明るい星と12星座を使えば、昔の位置と見方が大体にわかるので、
2160年前ごろのしし座0度のころ、エジプトでいわゆる占星術と12星座の関係が決まったと絞り込めます。
(祖のプトレマイオスが紀元100年ごろに紀元0年ごろまでの観測結果をいろいろまとめて
占星術を作ったとされる時期とおおむね合います)

その後2010年にレグルスがおとめ座0度に移動するまで2000年間、レグルスは獅子の星だったわけです。

実際はこの考え方は春分点でやります。
しかし春分点だと2000年で30度なので、かなり長い期間になります。
春分点よりはシリウスやレグルス、ベテルギウス、北極星、アルゴルなど
天球の明るい星を基準にしたのではないか?というのは私の個人的考えです。


というのは牡羊座の位置に春分点があったので占星術はそこから始まった、と書いてはあります。
2000年まではうお座、2000年以降はみずがめ座の時代だそうです。

よくムーででてくる話ですが、これだと途方もない期間を当てはめることになり、
おおよそ2000年前に12星座がそろった時期とあわない。

またシュメール以前よりも古くなって恐竜の時代までさかのぼりそうなので
そんなところまで春分点を観測して当てはめるのは無理がある上に
2000年間の人類の足跡をうお座の海王星だけで判断するのはかなり無理があると思いますわ。

グラハムハンコックの神々の指紋で言われる12000年前はしし座に春分点があったから
スフィンクスはししの形をしていたとか書いてあるのですが、
正直そのときしし座という概念があったかどうか、夜の空を見上げて
観測機器がなければ明るい星を起点にするだろうと思うのです。

なので流れ星だの、ほうき星がクローズアップされます。
まして地上のあちこちで違って見える星座を割り出すよりは、古代になるほど北極星を中心に
明るい星を目印にした可能性がある。

そういうわけでレグルスを定規にしてみたら、こんな風になりました。

占星術がおおむね2000~3000年ぐらいの歴史しかないのに、12000年までさかのぼるのは無理があると。

5000年前ごろに原始の星座観測が始まる
12星座は3000年ごろまでに成立、
2000年ごろまでに占星術として成立
紀元100年におおむね今の姿になった。
それ以降はギリシャ神話などを参考に、あちこちの国で勝手に星座が付けられた
歳差運動で太陽の位置が30度以上ずれたので、12星座は基礎にもかかわらず現在は使用されていない
現在の星座は、特に理由なくまぜこぜで採用されている

とまあこんなわけで、ふと買ったプラネタリウムからわいた疑問で
いろいろ調べてみたのですが。

最初に言ったようにこれを知らなくても人は生きていける無駄な知識でした(笑

肝心の私は相変わらずリアル夜空を見ても
黄道12星座を見つけて太陽の通り道を予測もできないし、
火星木星金星の判別もできないし
まして土星になるとよほど教えてくれないとわからない
写真に撮らなければ北極星の位置もわからない

シリウスとベテルギウスくらいはわかる

現代人の肉眼はこんなものなのでしょう。

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コメント

おっしゃってることがよくわかりませんが、春分点は直接目に見えるわけじゃないので、明るい星の観測量を基にしてその位置や移動量を計算するわけですよ。
天の北極の位置も春分点移動(=地軸の歳差運動)に対応して動いていくので、現在北極星とされているポラリスは2000年前は真北の方向にはありませんでした。
ちなみに黄道(天球面上の太陽の通り道)は地球の公転面に対応してるので、歳差運動とは無関係に常に一定ですから、黄道十二星座はいつの時代でも黄道十二星座です。
季節と黄道星座との対応関係(太陽がいつどの星座を通過するか)が26000年周期で変化していくだけの話です。で、近現代の星占いではそのあたりを考慮して、十二星座ではなく十二宮という呼び名を使ってごまかしてるわけです。つまり、春分点を基準にした黄経30度刻みの領域を宮(サイン)と称して、そのどこにあるかを使うことにして、どの星座にあるかということとではなくしてしまってるわけ。インチキな話ですね ;-)

投稿: moonstarer | 2015年10月17日 (土) 10時24分

こんなスレ違いの難しい記事にレスありがとうございます。

春分点は自分でも目に見えないしみんな目に見えないのにピラミッドのせいでか、よく話題になりますね。

結局明るい星の積算で位置を出すのですか。

分儀がないと普通はわからないけど昔の神官はわかったのですかね?

歳差運動で言っているのは太陽の宮内の位置です。黄道12星座の位置は固定だけど太陽の位置が変わっている。
私はこのへん英語とフランス語でやっているのでetoileとかメゾンと言います。

日本の占いは英語なのでへんてこな呼び名が多いです。

polalisは今ふたご座の28度42分ごろにいます
同じ28度53分にbetergiusがいます。

astlonomyだとpolalisが重要ですが
astrologyだとbetelgiuseのほうがはるかに強くなります。

ざっくりいうと6/20の前後10日に生まれた人はbetelgiuseの影響を受けて
かなり波乱万丈(多く成り上がり)の人生を送ることが予想される、というのがastrologyです。

それは置いておいて、牡羊座の頭に春分点があったので黄道12星座のはじめは牡羊座というらしいのですが
まあ今でいえば4月です。誰がこれを決めたのかというのはおそらくシュメールではと思われます。
牡羊座なのでメソポタミアの羊飼いが星の位置を記したので占星術が始まった、と外国の本には
書いてあるらしく、由来がまた喧々囂々になります。

というのは何月を年の初めにするか、というのは古代ではまちまちで、たとえば中国で司馬遷が年の始まりを
どこにするかで悩んで種まきの2月を始まりにするかとか、そういう話が出てきます。

12星座では牡羊座がいわゆる1月、になっています。ローマ時代までは月の数もバラバラですね。

なので12星座には地味に古代のことが隠れていると見えて面白いのですが
今の星座は全部無視でよくわからない配置です。

日本の星占いはほとんどアメリカの亜流でまったく当たらないので
そもそもインチキだと知り合いには言われています。

投稿: shiruou | 2015年10月18日 (日) 11時26分

明るい星を目安に、太陽の通り道を推定したのでしょうね。たとえば、太陽が真東から出るころ、真西に沈む星というのは、半年後の太陽の位置に相当するわけです。実際に真西に星がなくても、そのあたりの明るい星を目安にすれば、どの星座のあたりかはわかるでしょう。
ギリシャ時代ともなれば、定量的に星の位置を測定して黄道を導き出していたんじゃないかしら(不勉強で知りませんがw)。
「ふたご座の28度42分ごろにいます」とおっしゃるのは、天文学的に言えば、黄道座標という座標系で黄経(地球でいう経度に相当する概念)が88度42分という意味かと思いますが(30度+30度+28度42分)、太陽がその黄経位置にいたとしても、その星の近くを通るわけではありませんので、なにゆえに影響があると考えるべきなのか、あまり釈然としませんよね。黄緯の違いを無視してます。
春分が一年の区切りとして重要なのは明らかだと思いますが、秋分でもいいわけだし、冬至や夏至もそれに準じて明確な区切りとなります。でも、羊飼いにはやはり春が大事だったのかもしれませんね。
手元の本によれば、牡羊座の春分点を起点として黄道を12等分して占星術の基礎となる黄道宮の概念を示したのはギリシャ時代至高の天文学者、ヒッパルコスだとあります。
黄道十二星座以外の星座もギリシャ以前から存在していて、ヒッパルコス、あるいはその後のプトレマイオスの時代にもなると現在とほぼ同じ星座がすでに存在していました。ただ、北半球からは見えなかった天球の領域が中世の大航海時代になって認知されるようになり、新たな星座が加わっただけです。したがって、日本から見えるような星座はギリシャ時代当時とあまり変わりありませんよ。

投稿: moonstarer | 2015年10月20日 (火) 00時22分

なるほど、moonstarさんはヒッパルコス派になるのですか
私は度数については諸事情で30分でやっているので、100分を基準にするとそうなりますね。
天文学的なアプローチは星座ではしていません。

天文学と星座(とりわけ星占い)はわけて考えています。

プトレマイオスの時代というのは、アレキサンドリアの図書館やギリシャで資料を集めたようなので、
誰が始めたか、となるとまた喧々囂々になり、議論が絶えません。
私はプトレメというのですけど、日本でプトレメという人はいないでしょうね。

日本から見える星座がギリシャ時代から変わらないのは救いですが、やっぱり空をみても
明るい星しかみえないのが悲しいところです。

羊の盛りの時期に合わせてそこを起点にしたのかもしれない。

投稿: shiruou | 2015年10月20日 (火) 00時43分

度数に関しては、汁王さんのは星座ごとに30度で、12星座で360度というご計算で、足し上げれば黄経と一致すると解釈しておりますが、、、占星術に関してはド素人なので、間違ってたらごめんなさい。

ちなみに、かつては天文学と占星術は渾然一体で、ともに発達して古代ギリシャ(もっと限定するとプトレマイオス)でその頂点に達したと言われてるようです。

プトレマイオスの日本での表記はギリシャーラテン語由来のプトレマイオスか、英語由来のトレミーが主流ですね。フランス語だとプトレメなんでしょうけど、科学用語は英語かドイツ語由来が多いみたいで。

暗い星まで見える場所って国内ではほんとに限られてしまってて残念です。街灯をなくしたくても、事故や犯罪の抑止とか言われるとしょうがないけど。その点、北朝鮮の夜空はどこにいっても素晴らしいはず(笑)。

投稿: moonstarer | 2015年10月31日 (土) 12時20分

私が12星座を引き合いに出すときは全部30度で100度ではないです。
これは占星術と天文学は違うので分けています。
30度なのは60進法で1度は60分、つまりメソポタミア法でやるのが占星術なので
そうなります。
天文学でやるなら、12星座というか、そもそも星座を使いません。
○○座のシータ星とかいう言い方をします。
かつては占星術から派生した星の位置の観測がギリシャで学問になっていったという、
錬金術と物理学のような関係であったと思います。
メソポタミアの人がなぜ”太陽系の外側から”地球を数えたかとか、ギリシャの人にもわからなかったろうから
しょうがないでしょう。

プトレマイオスとプトレメの区別が最初つかなくて苦労しましたが、最近は慣れてきました。
日本の占星術はちょっと当たらないので、英語表記が多々あるんですが、
全然わからないから全部フランス語でやっています。

アンティキティラ島の機械とか、不思議なものがありますがあれは”12星座が書いてあった”
という記述から、古代の占星術用のホロスコープ早見表であったかと思います。
占星術の知識があるとピンときますね(当時は土星までしかないようですが、
メソポタミアでは天王星海王星まであったとか)
ギリシャとローマに2つづつあったという話ですが、今ではスマホのアプリですら
ありますからそうであったのなら便利なものです。

あれもエジプト暦で作ってあるとかで、もしかしたらアレクサンドリアの図書館にあった
設計図かミニチュアをコピーしたものかもしれない。

エジプト由来のものはおおむねメソポタミアからアレキサンドリアにいっていると思われるので。

今の天文学と古代の天文学はかように歴史から風俗にまで及んで考えないと
なかなか理解できず、
古代の人が正確に星の位置を知らなければいけなかった理由は、占いにより未来を読むことが
非常に重要だったから、という民俗学の視点もないと、数字の羅列だけになってしまいます。

同じ占星術でも中国のものはまったく当てにならず、どっちかというと気象学予測でしかないようです。
それなら現代の天気予報のほうがはるかに正確ですね。

投稿: shiruou | 2015年11月 2日 (月) 22時38分

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