ブラック企業化したマンガ業界?(2)
前回の記事でマンガ業界はパワハラ上等でないと困る部分もあると書きましたが、
新人はパワハラなんていっていたら即お払い箱なので、
いちおう自分の経験から、マンガ家になりたいひと向けにキャラクターのお話を書いておきます。
備忘録もかねているので、読み飛ばしてもらっても結構です。
漫画家を志した人が、編集との確執でいちばん経験するのが、キャラクター造形についての
考え方の違いとか、考えが理解できない、です。
なにしろ毎日毎日顔をあわせるたびにキャラクターの話をされて、キャラクターで責められる。
ぴんと来ない人にとっては地獄以外のなにものでもない。
このキャラクターとは一体なんなのか?
一般的には小池和夫先生が作った今のマンガすべての基本をなす概念がキャラクターです。
キャラクターを(際)立てる、といいます。
70年代以降のマンガはすべてこの要素を打ち出さないと読んでもくれません。
それぐらい重要な要素なんですが、とにかくわかりづらい。
主人公の周りにデブと萌え女とオカマを並べときゃいいってもんじゃない。
主人公の家族を皆殺しの目にあわせたり、借金10億背負わせたり、
体の100箇所を奪ったり、男のように見えて女だったり、いろいろありますが
普通の人が描いたら、とってつけたようなわざとらしい設定を背負った人、になります。
要するに、そんなとっぴな設定でも無理なく、自分が大真面目にエクスタシーを感じる、
自然に書いてしまう人物像のことです。
(よくあるのは自分が一番恥ずかしいと思っていることを大々的に書く)
書こうと思って書けるものじゃないのです。その人が描いたある人物が、みんなそういう色を帯びて
読んだ人をぐいぐいと想像の世界に引っ張りこむ。
有名なところで言うと北斗の拳とか、ジョジョですけど、あれも最初の石仮面のころは
あまりキャラが強くなかった。
スタンドというキャラクター部品が、ぴったり合って初めて立った。ちゅみみーんとか。おまけです。
北斗の拳も爆発拳法、で初めて立ったわけです。あとは全部おまけ。あべしもひでぶもラオウも、おまけ。
私は心に闇があって、そういう人をぐいぐいと希望をもって楽しみのうちに引っ張っていくような
悲劇とか縛りを背負ったキャラクターがそもそもかけないと気づいた。脳が不幸や縛りを拒否してしまう。
わざとらしくみえてしまう。
ダイハードも有名なキャラクターモノですが(あれはタイトルの通り、どんな状況でも死なない男、がキャラです)
ダイハードはワザワザ危険なことをして、都合よく落っこちる行動をするのですが、
なんでそんなことをするのか、家族離散になるしみんな不仲になるし出世もしない。
ただ、単身突っ込んでいって解決できるのが自分しかいないからくそまじめに正義感丸出して
仕事は正義だ、とあきれるほどに信じ込んでいる人間。これを大上段から大真面目に書く。
普通の人が書いても、そんなやつイネーヨで終わってしまう。
わたしが作ってもずるがしこくなってそういう状況に落ちないようなキャラになるか、
なってもワザとらしく見えてしまう。ただ都合よいだけ。これを独りよがりという。
独りよがりも伝統芸能になってしまえばいいのですが
(彼岸島なんてあのご都合主義が伝統芸能になってしまっている。それが心地よくなれば作家の勝ち)
普通はそんなことがない。
危険な目にはいっていくとか、障害に正面からぶつかって克服するのがテーマなのが
マンガなのに、それを避けようとしてしまうのだから、主人公にならない。
ひとまず都落ちして、冷静に自分を客観的に見れるようになって、気づいていった。
自作を客観視する、というのは編集との厳しい批判に晒されなければ決して獲得できない。
適当に作って、ネットで駄作シネ攻撃を食らうときには致命傷になっているのです。
んで、いろいろやってみて、男に陵辱される美女とか美少女、とかいうキャラクターだと
筆がひとりでに動いていろんな行動をとらせられることがわかってきた。
それが第三者を引き込むかというのは、作家としては売れなかったので
決定力不足だったんだと思いますが、少なくとも時を忘れるぐらい
ああしてやろう、こうしてやろうとひとりで沸いてくる、こうだったらいいな、
あんなだったらいいなという感じで沸いてくる人物、というのはアダルトでもっとも
自然に出た。それこそ止まらない。何日でも考えていられる。
キャラクターというのは、こういう感覚なんだろうと思います。
だからうまく伝えられないわけです。
第三の言語といったほうがいい。
それをつかめても、そのキャラの宿命を解いていく行動が、人を引き込んだり、
涙を流させたり、笑わせたりできるかは作家の才能です。
泣かせて、笑わせ、時間を忘れさせるのが銭の取れる作家の条件。
チンポコしごかせる、というのはそれほど難しいことじゃないのだと思うのですが、
出来る人にとっては出来ない人の気持ちがこれっぽちもわからない。
だからなんともいえない。簡単とは言わないでおきます。
ちなみにこの能力は、画力とは関係ありません。
この能力があれば画力はほとんどいりませんが
画力だけを持ってして、キャラクター創造能力をスキップすることは、決して出来ない。
画力至上主義に陥っている人がいたら、マンガでメシを食うのはあきらめたほうがいいです。
画力キャラクター主義というのもあって、いくつかの人は人にかきたいと思わせる
麻薬のような線を書きます。
大友克弘、士郎正宗、萩原一至、藤島康介、安彦良和とかです。
もし自分にはキャラクターを創造する能力がないけれど、画力だけで彼らのようになれる力がある
そう思っている人がいたら、間違いなく道を誤るので、これはやめたほうがいい。
彼らはキャラクターを造る能力があるけれど、それよりさらにさらに上の次元で麻薬のような
線を描く才能が備わっている、ので、キャラクターが作れないわけじゃないのです。
デビューしたら、この巨人たちと同じ土俵に立つわけですよ。
へタすりゃ同じ雑誌で順位投票されるわけですよ←経験者。
いつかは越えられる、なんて悠長なこといってる余裕ないんです。
編集もアシもみんな今生活しているので。
同じ土俵にあがったら、今すぐそこで対戦しなきゃ、結果を一矢報いなければプロとして
意味がないのです。
バーリトゥードでスター選手団の中に放り込まれて今すぐ臨戦態勢で
結果出せという業界で、時間をくれなんていっていたら失格。
そういう環境で生きていくのだから、編集者のいじめにいちいちもめていたら、
持たないでしょうし、売れっ子でそうなったら、白いワニの時代だとあきらめるしかないかもしれない。
あらゆるものを描きつくしたマンガ産業はこれから間違いなく斜陽になっていくから。
CGやPCを使った半分アニメのようなもので、作りこまれていく業界に変わるかも知れない。
でもネット配信は出版マンガのようにお金にならない。
googleの刷り込みは容易に覆せないので、
にっちもさっちも行かない状態になるのが予想できます。
たまに出るヒット作はモルヒネのようなものになっていくでしょう。
俺が引っ張る、というくらいの気概があるひとでないと、だめかもしれない。
または、面白いものは人の手を借りずに、自分で売ることが出来る。
そういう感覚をもてる人は、すでに”ダイ・ハード”なキャラクターを持っているかもしれない。
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